ナップファクトリー代表ご挨拶/プロフィール

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ナップファクトリー代表ご挨拶

物心が付いた時には、車が好きでしょうがない子供になっていました。 三つ子の魂・・・と言いますが、今日までの私、正に言葉の通りだと実感しています。 私は、ガソリンスタンドでのアルバイト、板金塗装工場でのアルバイトで、 単に『カッコ良いから車が好き』という所から、車で生活を更に楽しみ、感動し、大人になっても 車を通じて親友と呼べる友達が出来きるという素晴らしく幸せな経験を数々得ることが出来ました。

アルバイト中に完成させた全塗装の感動。自分の車が生まれ変わった時の徹夜明けの朝の感覚、 今も鮮明に覚えています。あの時の喜びと感動、生まれ変わった車で走るワクワク感、 数日前と、見た目が変わっただけなのに、エンジンも足回りも全てが新しくなった様な錯覚。 そんな感覚を是非、皆様に味わって頂ければと思います。

なにもかもが当たり前になっている毎日に、少し手を加えるだけで、 喜び・楽しみ・高揚感を再発見、再体験出来るはずです。 いつになっても車が楽しくてしょうがない私達が行う日常業務、板金塗装の技術を通じて、 乗り慣れた車にドキドキとワクワクを、お客様にご提供出来れば幸いです。

代表プロフィール&ナップファクトリー誕生まで・・・

ナップファクトリー代表
中野 文人
なかの ふみと
担当分野
人材育成教育/ WEBページ企画 制作/ 各種設計 企画/
習性
原動機が搭載されている物には何でも興味を示す。
旧車、90年代初頭の欧州車がツボ。
基本、低くてドアの大きいクーペを好む。
車歴
フロンテクーペ → ローレルスピリット → 71マークⅱ → BMW E21 → R32 → ジャパン → BMW635 → カプチーノ → スタリオン → BMW635 → ジャパン → BMWE24 M6 → BMWE24 M6(現在)

ご注意!!!ここから先は 本当にどうでもいい話

昭和52年生まれ 愛媛県 松山市出身

愛媛県立松山北高校
名城大学 理工学部 交通機械学科卒

幼い頃から車が好きで、中学に入学頃には、自宅に長期不動保管されていた フロンテクーペをバラバラに分解しては組み立てるという事に没頭。 途中、人の家の軒先を借りて全塗装という暴挙を試みる。

高校入学後、3ヶ月にして、担任教師から、『君に向いている高校は他にあるから』と 非常に的を得た理由により工業高校への転校を強く勧められる。 剣道を幼い頃から習っていた事から、学校を辞めるということより 剣道部を途中で辞めるという事の方が重罪と感じ、ただそれと、彼女に会いたいだけで 3年間、進学校に通った。後にその彼女が私の妻となる。 進路決定時、本人は自動車専門学校に進む事を強く希望していたが、3年時の 担任教師の強い勧めによって大学進学を選択する。担任が幼い頃より良く知る 剣道部監督ということもあり、ここでの絶対服従は 高校剣道部員最後の使命と感じた様な気がする。

名古屋にある名城大学在学中にアルバイト先のガソリンスタンドが勤務中に突然倒産。 自分の事より、アルバイト大学生の行く末を案じた当時の店長は、 店長同級生が社長を務める板金塗装工場を紹介してくれた。 整備工場と板金塗装工場の違いも良く分からないままアルバイトを始め、 自主練習との許されそうな理由を社長に訴え、当時乗っていたスカイラインジャパンの 全塗装を行う。そのジャパンがきっかけで、車趣味人との出会いが一気に始まる。 その後、社長の放任主義に助けられ、未経験の重作業を半ば強制的に経験し、 短期間で非常に内容の濃い板金塗装業務を体験。 今、思えばとんでもなく心の広い社長だったと思う。どんな高級車が来ようが、 輸入車が来ようが、たいがい『兄ちゃんだったら(私の事)できるやろ?』だった。

大学卒業と同時に、一旦帰郷し一般会社に就職するが、 板金塗装工場での衝撃的且つ車に囲まれた毎日が忘れられず、 板金塗装会社を転々とし、気が付いた時には、宅急便で考えられるだけの荷物を送り、 再び名古屋の例の工場に戻っていた。戻った翌日が名古屋大洪水という 歴史的な1日だった。洪水真っ只中、再出社1日目から休む訳にはいかんと、 15分で行ける距離を数時間かけて苦労の末出社。途中、シャコタンジャパンは軽く水没。 愛媛から戻って来た私を、社長に嬉しく迎えて貰えるはずだったが、 『洪水の原因は愛媛からお前が戻って来たからだ』という 理不尽な理由で、かなり本気でいきなり怒られた記憶がある。 その時の社長は命がけで一晩中工場を守り疲れ果てていた。 もし、今の私があの時の社長と同じ状態に陥ったら、私も、全く同じ理由で 出社1日目の人間を意味不明に怒ると思う。

名古屋修行後は再び帰郷し、東温市に工場を構える(有)カーサービスイケガワに入社。 遠い親戚ということもあり若造ながら板金塗装部門を任せて貰える事になる。 社長が同世代という事もあり、公私共に充実した社員生活を送る。 数年後、イケガワ社の板金塗装場を間借りさせて貰える事になり、ナップファクトリーを スタートさせる流れになる。カーサービスイケガワさんが工場の間貸しを許してくれたから ナップファクトリーは生まれる事が出来たのは、紛れの無い事実である。

父親、美大卒、美術教員、後に美術作家
母親、主婦、後に人形作家
妹、芸大卒、後にダンス講師
という、芸術一家の中、なぜか長男のみ工業系ナップファクトリーを立ち上げ。 色彩感覚と、造形センスが高いのは、生まれ育った家庭環境だと気心知れた人に 年を重ねる毎に良く言われる様になった。 思い出すと幼い頃から無数の絵の具、様々な造形道具、絵画、 両親の理解・愛情により自由な工作・創造環境に囲まれて育ったが、 未だ正直、芸術の血の自覚は無い。

とにかく人との出会いタイミングに恵まれ、 素敵なお客様と信頼のおける社員に囲まれ現在に至る。

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